習慣的に、私は深夜に黙々と読書をしています。

本は私の人生に欠かせませんが、芥川龍之介の小説を読んでいて、芥川賞のことに思いが至りました。

そう言えば芥川賞と直木賞は根本的に違う賞であることを思い出しました。

いろいろと考えていくうちに、長い歴史の中で、2つの賞が時代の変化によって変わってきたことをお伝えしたく思いました。

80年の歴史を短く要約すると、文学が私たちの身近になってきたことがあげられます。

毎年開催される芥川賞と直木賞、その違いについて以下にまとめてみました。

芥川賞と直木賞の違いはどこにあるのか、しばしお付き合い下されば嬉しく思います。

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芥川賞と直木賞の違いがなくなってきた理由

芥川賞と直木賞の違いはなんでしょうか。


実は、現在は芥川賞と直木賞の境界があいまいになりつつあります。

分かりにくい原因の1つに、実際に芥川賞と直木賞の区別が失われつつあるのがあげられます。

後に見ますが、芥川賞と直木賞を分けるのは「純文学」か「大衆文学」かです

「純文学」という言葉が芥川賞の大事な要素の1つですが、小説が親しみやすいものに変わってくるにつれ、芥川賞の意味も変化してきたように思います。


たとえば「彼岸先生」という小説を、作家で芥川賞選考委員の島田雅彦は書いています。

「彼岸先生」は軽妙でユーモアに充ちた文章ですが、島田雅彦の目的は、夏目漱石の「こころ」を現代風にアレンジし直すことでした。

一部の専門家だけが批評の対象に選んできた漱石の「こころ」を、読者に分かりやすく伝えるのが「彼岸先生」の目的でした。

島田雅彦は難解な言葉を一切使わず、親しみやすい純文学を目指して書いている作家の1人です。

今は、難しかった純文学が親しみやすい大衆文学に歩み寄りつつあります。


純文学が大衆文学に歩み寄りつつあるために、今後、芥川賞と直木賞の違いがさらにあいまいになっていくように私は感じます。



そのため芥川賞と直木賞の区別がつきにくくなっているのだと思います。

一般に、高尚で道徳的なものが芥川賞というイメージが強い傾向があります。

近年の芥川賞の受賞作を見ていると、これは直木賞に選ばれるべきではないのかな、と思ったりしたことがあります。

純文学が身近なものになるにつれ、芥川賞の作品が一部の人のためだけに存在する意味が薄れてきました。


以上、あいまいになりつつある芥川賞と直木賞について書いてみましたが、以下で両者をきちんと区別する方法を見ていきましょう。

芥川賞と直木賞が生まれた背景の違い

まず2人の作家と賞の関係について、くらべてみましょう。

芥川賞の生まれた背景

芥川賞をお話する前に、芥川龍之介という作家をご紹介します。

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皆さんもどこかで耳にされたことがあるかもしれませんが、芥川龍之介は「蜘蛛の糸」「羅生門」などで有名です。

映画監督の黒澤明は、芥川龍之介の作品を映画化しています。


芥川賞は芥川龍之介という作家の業績をたたえた賞です。


芥川龍之介は、短い生涯の間に優れた短編をいくつも書き残している作家です。

芥川龍之介が短編の名手と呼ばれたことにちなんで、芥川賞も原稿用紙300枚程度までの短編小説が対象となりました。

芥川賞が生まれた背景には、優れた作家の偉業を次世代の作家に引き継ごうという意味がこめられています。

最近芥川龍之介の「歯車」を読み返してみたのですが、短い文章で緻密に計算された物語の構成に驚かされました。

芥川龍之介は優れた作家でしたが、90年も前の作家ですので、時代の変化によって風化していく可能性もあり得ます。

芥川の優れた業績を後世に伝えていくために、芥川賞の存在は有意義だと私は思います。

直木賞が生まれた背景

つぎに直木賞を見ていきましょう。

聞きなれない名前ですが、直木三十五という作家がいました。

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直木三十五は「南国太平記」などを書いた作家で、映画界と関連のある人物でした。

皆さんもよくご存知の「水戸黄門」というテレビドラマの下敷きになったのは、直木三十五が書いた「黄門廻国記」がもとになっています。


直木賞は直木三十五という作家の業績をたたえた賞です。


直木賞は、もともと直木三十五が映画との接点が多い作家でしたので、大衆的で面白い内容を対象とした賞として創設されています。

彼は映画の脚本を書いていましたし、実際に1本映画の監督をしています。

彼も1934年に亡くなっていますから、時代の変化とともに、人々の記憶から消えていこうとしています。

時代小説から随筆まで、幅広く執筆してきた直木三十五ですが、書店で直木三十五の著作を見かけることは、ほとんどなくなってしまいました。

10回も映画化されているだけあって、「南国太平記」を読み始めたら、時間の経つのを忘れてしまいそうです。

文学が身近になった現代だからこそ、大衆的で親しみやすい直木三十五の精神を語り継ぐ価値が高まってきたのだと私は思います。


芥川賞と直木賞の生まれた背景について見たあとは、2つの賞の選考基準の違いについて見ていきましょう。

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芥川賞と直木賞の選考基準の違い


芥川賞の選考基準

芥川賞は新人が書いた純文学作品に与えられる賞です。

選考基準の内容は一般に公表されていて、要約すると、新人の才能を発掘するのが目標なのは一目瞭然です。


芥川賞は作家に対して与えられる賞です。


最後に芥川賞と作家個人の資質の関係についてふれますが、基本的に作品にではなく、作家個人に与えられるのが芥川賞です。

ただし何を書いても良いわけではなく、純文学作品を書いた作家に対して賞の選考が行われます。

この選考基準こそが、長らく芥川賞の足かせになっていたように私は思います。

「純文学」は人生や思想に密着した問題をテーマにする以上、作家個人の人間性が作品に如実に出てしまうため、批判の対象になるような作品は、選考から外れてきたように私は考えています。

直木賞の選考基準

次に直木賞の選考基準について見ていきます。

直木賞は実績のある作家が書いた大衆小説に与えられる賞です。


直木賞は書かれた作品に与えられる賞です。


ある程度実績のある作家の作品が選考の対象になる以上、芥川賞より受賞が難しいと私は思います。

直木賞の選考は、プロがプロの作品を批評することから始まりますから、自ずと競争が厳しいわけです。

知名度のある作家の優れた作品でも、選考から漏れることもあり得ます。

ときおり私も、なぜこの作品が選考から外れたのだろうと首をかしげることがよくあります。

「All of naoki award(直木賞の選考過程)」を読むと、候補作品への各選考委員の厳しい批評が載っています。

読者の1人として、直木賞の選考過程がオープンになったのは歓迎しますが、本来なら、書物の良し悪しを決めるのは同業者ではなく、多数の読者ではないかと私は思います。


芥川賞と直木賞の選考基準の違いを見てきましたが、つぎは両賞の作品の内容の違いについて、見ていきましょう。

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芥川賞と直木賞の作品の違い

芥川賞と直木賞に選ばれた作品には、どのような違いがあるのでしょうか。

芥川賞の作品の内容

芥川賞は文章の美しさや作家の考えに重点がおかれています。

一般に、純文学作品には私たちが普段出会わない優れた文章が含まれています。


芥川賞の作品とは文章の表現の巧みさや扱うテーマの深さなどの点で芸術性が高い作品のことです。


だからと言って、高尚な文章だけが芥川賞を受賞しているわけではありませんし、純文学の定義は幅広く考えても大丈夫です。

日常生活のありふれた出来事を単に書き綴った作品であれ、それがみずみずしい感性に支えられているかどうかが大切にされています。

例えば開高健の「裸の王様」は平易な文章で、「僕」の「気持ち」や「考え」が綴ってあります。

私が読んできた芥川賞作品の傾向には、ありふれた出来事に対する新鮮な感覚が感じられました。

直木賞の作品の内容

つぎに直木賞の内容について見ていきましょう。

直木賞は読んで楽しくなる娯楽性やストーリーの面白さに重点がおかれています。

娯楽小説の作品には大勢の人に親しみやすいストーリーと、読みやすい文章が含まれています。


直木賞の作品とはストーリーの楽しさや一般向けのテーマを扱う点で大衆性が強い作品のことです。


歴史や娯楽がテーマとして好まれていますが、人間ドラマのような深いテーマを扱った作品もあるので、直木賞が芥川賞に劣るというわけではありません。


例えば松本清張の1952年作『或る「小倉日記」伝』は直木賞にノミネートされていましたが、選考委員の発言で芥川賞へと変更になりました。

松本清張は推理小説作家として定着していたので、本人にとっては意外な結果だったかも知れません。

私も松本清張が芥川賞を受賞していたことは知っていましたが、彼の普段の作品は大衆向けの推理小説です。

最近あらめて『或る「小倉日記」伝』を読み返してみて、人間への洞察が深いなと感じました。

歴史などがテーマになると、どうしても人間への洞察が深くなるので、直木賞にも純文学の要素が含まれていると私は考えています。


2つの賞の作品の違いを見たあとは、つぎに芥川賞と直木賞を歴史から見ていきましょう。

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芥川賞と直木賞の歴史の違い

芥川賞と直木賞の設立は1935年にさかのぼります。

菊池寛という作家が文藝春秋という会社を設立したのですが、友人だった芥川龍之介と直木三十五の業績をたたえるために、両賞を設けたのです。

芥川賞の歴史

当初はあまり知名度の無かった芥川賞ですが、石原慎太郎の1955年の受賞作「太陽の季節」で状況が一変します。

作中の人物を真似た人が生まれ始め、「太陽族」なる言葉が生まれるほど芥川賞の作品が社会現象になったのです。

その後、さらに芥川賞の歴史は激変します。

1976年の芥川賞受賞作、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は最大部数354万部を誇る、大ベストセラーになりました。

村上龍の登場は画期的だったと私は考えています。

村上龍の登場の意義を知るために、ここで太宰治の話をしたいと思います。


太宰治は優れた作家でしたが、その人間性を問われて、芥川賞を受賞出来ませんでした。

酒や薬に溺れた生活をしていたために、選考委員である川端康成に受賞はふさわしくないと宣言されてしまったのです。

かつて、受賞にさいして作家個人の人間性や私生活が問われる時代があったのです。

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は個人的な体験がもとに書かれていますが、ここで扱われているテーマは、まさに太宰が批判された無軌道な私生活そのものなのです。


芥川賞の歴史的な転換点が、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だったと言えます。


何を書いてもいいし、それは作家の個人的な問題には関わらないというのは、小説の昔からの大原則だったはずです。

ですが、権威にこだわる芥川賞は、長く作家の私生活や良識的なテーマのほうを優先してきたのだと思います。

直木賞の歴史

こうしてみると、芥川賞が2つの賞の栄誉を高めてきたように見えますが、直木賞にも優れた作品がいくつも見受けられます。

私が愛読する高岡薫の「マークスの山」は1993年に直木賞を受賞、100万部を突破しました。

執筆歴の長い、実績のある作品が受賞するのが直木賞の基本です。

ですが、最近の直木賞受賞作を読んでみると、少し選考の基準が変わってきたようです。


歴史的に見て中堅作家が受賞するのが直木賞でしたが、現在では新人作家も受賞するケースも増えています。


エンターテイメントの幅が拡がるにつれ、読者がさまざまなニーズで新しい作品を求めています。

そのため、固定したジャンルにこだわらず直木賞の選考の対象が広がってきたように私は感じます。

直木賞には、芥川賞ほどセンセーショナルな歴史はありませんが、読みごたえのある重厚な作品が多く書かれてきました。


以上、芥川賞と直木賞の歴史を振り返ってみました。

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芥川賞と直木賞ってどう違う?作品の違いや歴史から賞の意味を考えるのまとめ


今回の記事はお役に立てたでしょうか。

芥川賞や直木賞の受賞のニュースをお聞きになって、読書を考える方も多いかと思います。

芥川賞と直木賞には、読みごたえのある作品がたくさんあります。

読書好きな私は、毎年2回ある両賞の選考を心待ちにしています。

芥川賞や直木賞の古い作品を読むと、当時の生活や思想がよく分かります。

皆さんも芥川賞と直木賞の違いを知って、読み比べてみると楽しいと思います。


最後まで読んで読んでいただき、ありがとうございました。

by はぐれ鳥

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