子供の貧困の背景には、主に、雇用や賃金、労働市場の問題があると説かれています。

現在は、核家族や中産階級が主体だった、経済的に繁栄した時代と貧困の理由は異なります。
離婚率の急増や景況の悪化、加えて相次ぐ労働市場の縮小など、複合的な要因が挙げられます。

現に6人に一人の子供が、日々の食事に困窮するほどの貧困に陥ってます。

20年ほど前、仕事の関係で、私はアフリカ諸国の悲惨な子供の現状を、つぶさに見聞しました。
現在の日本を見ていると、当時のアフリカ諸国と類似する面もあり、慄然としてきたんです。

幸い日本は内乱状況にはなく、戦時下でもありません。
当時のアフリカ諸国と比べてみても、さほど心配するには及びません。

ですが、ふと、私は戦後の混乱期を経験した叔母の思い出話を、脳裏に浮かべていました。
今回は、子供の貧困と格差社会、そして、それが意味するものついて記事にします。
特にその背景に関して、私が感じたことや考えたことなど、綴っていきたいと思います。

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最も弱い子供が棄てられていく時代

弱者が切り捨てられる


私は、今の世の中がダイナミックに動いている気がします。

詳しい統計は他に譲ることにします。

ここでは子供が切り捨てられる現状に関して、私見を述べたいと思います。

諺にもありますが、親は自分が食えなくても子供に食わせるとも言いますよね。
でも、その親自身が職に就けなかったとしたらどうでしょう。
あるいは生活資に満たない賃金での生活を余儀なくされているとします。

それなら当然、そのしわ寄せは子供に直接波及しますよね。

親自身が弱者であれば、親子含めて切り捨てられるわけなんです。

この国の生活理念の中には、以下の文言が盛り込まれていたはずですよね。
「健康で文化的な最低限の生活を保証する」

しかし、現状では、弱者は切り捨てられていく残酷な現実が明瞭に見えて来ました。

成長期の子供は、誰かの保護下・扶養下にあって初めて力が育めるはずですよね。
子供たちが、就学はおろか食もままならないほど追い詰められている現実

みなさんは、どうお考えになるでしょう。

連鎖的に貧困が受け継がれていく


貧困層の就学率は低いと言われています。

家庭事情で就学をあきらめる子供も増えているはずですよね。

私はかつて、アフリカ諸国の子供に、鉛筆とノートを送ったことがありました。
子供からは、自筆の絵が添えられた、可愛らしいお礼の手紙が届いて嬉しかったです。
今でもその子のことは、はっきりと覚えていますよ。

子供にとっての「学ぶこと」の意味の大きさを、私は痛感したものでした。

痛ましくも、戦争に駆り出される子供たちもいました。
でも平和が訪れた後に、一番最初に強く望んだことは、やはり「学ぶ」ことでした。

私は単に、学歴がどうのこうの言いたいわけじゃないんですよ。

文字を書けるようになりたい気持ち、簡単な計算ができるようになりたいと思う気持ち。
そうした素朴ですが真剣な心に、私は襟を正さざるを得なかったんです。

どこの国でも、貧困は連鎖すると言われていますし、日本も例外ではないでしょう。
収入にからめて、親子の就学率を比較してある図表を見る機会がありました。
そんな表を見たとき、私はひどく憂鬱な感情になりましたよ。

確かに貧困は連鎖しているかも知れませんよね。

ですが、私は統計資料を見るたびに、悲しい気持ちになるんです。

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戦後を経験した叔母の話

戦後の欠食児童や浮浪児


私は太平洋戦争、いわゆる第二次世界大戦を経験した世代ではありません。
以下は、あくまでも、叔母から聞いた話です。

戦後、物資統制令で都市部で食料の枯渇が深刻だった頃があった。
その際、子供が餓死するケースが珍しくなかった。
欠食児童(栄養が不足した子供)も非常に多かった。
駅周辺には、戦争で親を亡くして孤児となった浮浪児があふれかえっていた。

「生きる」ことは競争ですから、一面で残酷な牙を剥いてくるのでしょう。

「弱い者は切り捨てる」

こうした残酷な心理が平然と通用するのが社会の裏面的な原則・不文律ですよね。

人間が本来的に持ったエゴが、時代の宿命からか、当然のように広がっていきます。
それに対し、個人では太刀打ちできないということに、私は、やるせなさを感じるんです。

「子供などかまっている暇はないし、弱い者など消えてしまえ」

そうした言葉が、聞こえてきそうなんです。

叔母が話して語った、戦後の子供たちの話は実体験に基いています。

今、まさに、この国で起きていることと通底している気がして、私は恐ろしく感じましたよ。

子供 貧困 格差

戦後の努力で豊かになったと謳われた

過去の産物となった豊かさ


戦後の日本は、経済復興を遂げて、豊かになったと言われました。
ちょうど私が学生になった頃は、バブル経済の最盛期でした。
国中が憑かれたように拝金主義に狂奔していましたよ。
叔母も豊かな暮らしが出来るようになったものだと、当時は言っていたのでした。

でも、時代は移ろいますよね。

今は、食べていけない子供が急増している。

叔母は戦後に再び戻ったようだと、話していました。

この国が築き上げてきたもの。
その全てが崩れ去りつつあるのではないかと私は危惧を感じました。

私が言う「築き上げてきたもの」、それは経済的な繁栄などではありません。
もっと目に見えないものなんです。
例えば、日本人の美徳である「和」の心や「奉仕」や「互助」の精神などです。

「戦後の努力で豊かになった」というのは、もはや過去の産物なんですね。

子供 貧困 格差

この国は混乱期に入った

悲しみの多い時代


芥川龍之介は、大正末期に「ぼんやりとした不安」と書き残しています。
鋭敏な彼の神経は、何かの不穏を感じ取っていたのかも知れませんね。

愚鈍な私には、この時代の大きな変化は概観出来ません。
ですが、悲しみの多い時代になったと、しみじみ感じます。

子供が飢えて学校にも行けません。
老人や病人が捨てられてしまいます。

日本は平和が長く、あまりに豊かであったのです。
だから経験にない事態に、戸惑い始めているのだと私は思うんです。

それは「貧しさ」なんですね。

貧しいからと言って、悲しいとまでは言えないかも知れません。

ですが、子供が食べられない事情の背景に見えるのは、実は「家庭の崩壊」なんです。

核家族の崩壊

離婚率の急増にも、ある種の「悲しみ」を私は感じるんです。

かつて、「子は、かすがい」だったはずですよね。

家族が壊れていくし、愛が冷えていきます。

シングルマザーがパートでなんとか生き延びようとしています。
子育てしながら、家事もやり、パートに出て低賃金で使われています。

詳しい統計は、私は調べたこともないし、調べたいとも思わないんです。
周囲の知己から見聞した範囲で、私も十分事情を分かっています。
だから、要らぬ蓋を、もう開けたくないんですね。

家族というのは、一番小さく、それでいて一番強固だった小舟です。
それが座礁してバラバラに壊れてしまったという事実なんです。

これは時代の大きな変化の予兆ではないのか?私はそんな風に感じているんですね。

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格差社会が生んだ歪み

一時期、勝ち組とか負け組とか、そんな言葉が流行っていました。

私は人生には勝ち負けはなく、あるのは幸不幸だと思うんです。

たとえば、病気になれば「不幸」になるのでしょう。
子供が生まれれば、「子宝」の言葉通り、幸せなのでしょう。
子宝という言葉の意味する通り、「子供」は宝だったはずです。

貧困とはいえ、子供が満足に食事も出来ない世の中は、私は明らかに間違っていると思います


セレブという言葉も流行りました。

端的に言って、貧富の格差が広がりつつある時代が始まりかけていた時分の流行り言葉です。
今では完全に両極化してしまった感があります。
圧倒的な大多数の負け組は、地を這うようにして、日々を必死に生きています。

でも、もうそれも限界が近づいているように私には感じます。

子供 貧困 格差

子供の貧困が示す格差が意味するものは?この国で起きていることとはのまとめ


今回は、かなりハードな記事を題材にして書きました。

読みにくかったとしたら、申し訳ありません。
最後に、一言だけ。

私が妹から聞いた話です。

あるシングルマザーは、NPO団体の食事の配給に頼って生活しているそうです。

少数ですが、人々の心から、慈愛の心が消えてなくて、本当に良かったです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

by はぐれ鳥

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