小学生の時、私は遠足で「日中友好展」という場所に行ったことがあります。

その時、私の父が言ったのは「後進国であるからと言って、あざ笑う真似はするな」の一言でした。

私は中国製の記念切手を、お土産に買って帰って来ました。

とても美しい切手で、しばらくは切手集めに凝ったのでした。

その後大学に進学し、留学生たちとも交流して中国人の友人も出来ました。

それから時が流れ、30年の時間が経過しました。

30年の間に、両国の事情は大きく様変わりしました。

互いに向き合うことが難しくなり、今では最悪の関係と言っても過言ではない状態です。

この記事では、日中の友好について、互いが現実に向き合うことから始めるべきだとお伝えしていきたいと思います。

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かつて日中は友好関係にあった

今でも、私は30年前のことを思い出します。

中国は私の大切な友人だった

私の家に、中国人留学生が下宿していたことがありました。


寝食を共にして、つつみ隠さず語り合い、互いの国を敬っていました。


ちょうどその時、天安門事件が起きました。


1989年のことです。

私がはっきりと覚えているのは、デモ隊に戦車が突っ込んで行く生々しい映像でした。


「民主的な胡耀邦(こようほう)の死は、中国に思わぬ影響を残したのだ」と中国の友人が語ります。


「君はこれからどうするのだ?」と私は問いかけました。


祖国へ帰るのか、日本に留まるのか、私は聞きたかったのです。


「自分は国を愛しているし、日本も大切に思っている」とだけ、彼が答えたのが私には印象的でした。


友人が祖国の将来を不安に感じているのが、私にもよく分かったのです。

日本と中国の友好の始まり

1970年代から始まった日中友好の歴史は、田中角栄と大平正芳といった、歴代総理の一大政治テーマでした。


1972年、日本と中華人民共和国は国交を樹立しました。


かつて日本と中国は歴史の傷を乗り越えて、歩み寄った時期があったのです。

日本にとっても、中国にとっても、相互の歴史的和解は悲願だったのです。


私たちは、かつてお互い激しく憎み合い大きな戦争を何度も経験してきました。

相互に歴史に向き合った結果、努力が実ったのです。


私と中国の留学生との友情は、先人たちの血の滲むような努力に支えられて実現したものだったのです。


日中の友好について、個人的な体験をお話しましたが、次にかつて中国は日本に学ぼうとしていた事実を書いてみます。

日中 友好 可能

中国は日本から友好を通して学ぼうとしていた

1980年代の後半から、日本の景気は過熱となり、いわゆるバブル経済に突入していました。

労働市場は過剰に人手を必要とし、外国から大勢の労働者を招き入れていました。

バブルを背景に、中国人も日本の労働現場に多数参入してくることになります。

国交の歴史が浅く、外貨を稼ぎに来ていたパキスタン人やイラン人とは、中国人は大きく異なっていました。


当時日本に来ていた若い中国人たちは、日本に強い憧れを抱いていました。


私の友人だった中国人留学生の趙青年は、谷村新司の「昴」の歌詞に興味を持ったのが、日本語を学ぶきっかけだったと語っていました。

2年間、現地の日本語学校に通い、日本語をマスターした趙青年は、日本の文化や政治、経済などに強い関心を抱いていました。

上海の同済大学で物理を学んだ趙青年は、日本で華僑(海外で活躍する中国人)を目指していました。

趙青年は日本を強く愛してやまなかったのです。

当時の中国は経済が未発展で決して豊かであったとは言えません。

政治や文化の面でも、まだ成熟期ではありませんでした。


趙青年を始めとする若い中国人たちは、日本をモデルに自国の未来像を想像していたのです。


中国は日本に学ぼうとしていたのを見たあとは、日本の側が日中友好を大切にしてきたのを見ていきます。

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日本は日中の友好を大切にしてきた

日本に留学した作家の魯迅(ろじん)を愛読していた私は、趙青年とすぐに打ち解けていきました。

当時の中国人は、日本人を「よそ者」だとは見ていませんでした。

「大切な隣人」として接してくれたのです。

今、日本にやって来る大勢の中国人には、そうした友愛の気持ちは全く欠けています。


日本側の中国へのODAや技術援助は、民間が深く交流していたからこそ実現出来た背景があります。


仲の良い友人を大切に思う気持ちは、どこの国でも変わりがありません。


1980年代は、私たちは互いに思いやりや理解を共有する大切な友人だったのです。


どこかで歯車が狂ってしまったのです


その原因は次の見出しで見ますが、今は互いに憎悪をむき出しにする国民感情が根付いてしまったのです。

日本と中国の蜜月時代を肌で知っている私には、憎しみ合う両国のことがこころに刺さります。


日中の蜜月時代を見たあとは、互いが憎しみ合うことになった原因について探っていきます。

日中 友好 可能

日中は互いを省みなくなった

私と中国人の間柄も変わったし、今は趙青年とも連絡を取り合っていません。

変貌してしまった日中関係

天安門で祖国に帰った趙青年は、以降、私と音信不通になりました。


あれから30年、日中の全てが変化してしまったのです。


なぜ、両国は憎しみ合う結果になったのでしょう。

通常なら無関心こそ、互いの距離を大きくする原因となりますが、こと中国に関しては事情が違います。


中国人が日本人を憎み始めた原因は、中国共産党政府の全く政治的な動機からなのです。


江沢民の反日教育が徹底され、反日本的な若者が増えて行ったのです。


自国政府への民衆の憤りを転嫁する相手として、日本を選んだのが江沢民でした。


天安門事件以降、中国共産党は経済発展の陰で取り残されていく貧困層や少数民族の不満を逸らすために、「歴史問題」を道具に日本を責め立てているのです。

言い換えると、日本をわざと「やり玉」にして、民衆の怒りを鎮めているのです。

日本国民の中国への感情

私の中で築いてきた中国への友愛の気持ちも、音を立てて崩れていくのも時間の問題でした。


こうした中国の変化に、私を含め、日本国民の大多数は最初困惑していたはずです。


それはいずれ中国への大きな不信に繋がります。

2016年現在、中国の覇権主義と膨張主義は、非常に危険な段階に入ったと結論せざるを得ません。

日本政府は、近隣国との連携を深めて中国への脅威に対抗しようとしています。

それほどまでに険悪になってしまった日中です。


打開策は、すぐには思い付きません。


国民感情というものが、国家の行動に与える影響を考えると、私は今の日中の現状を厳しく受け止めています。


中国の変容と日本側の対応を見た後は、最後に日中関係についての予想と展望を書いていきたいと思います。

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日中友好は今後どうなっていくのか

日中友好を、この時期に言えば、私は反社会分子として糾弾されかねないでしょう。

日中関係は大きな試練をむかえた

危機の時こそ、どんな知恵を働かせるかが一番大切です。

日中友好にまつわる幼少期の思い出が、私の中で生き続けているからこそ、今も思いを綴っています。


私が怖れるのは、偶発的な衝突を、平和的な話し合いで解決出来ないほど両国関係が悪化しているという点です。


尖閣に関して、日本政府は「領土問題は存在しない」との一点張りでしたが、領空内への中国機侵入に至っては、言葉だけでは抑止にならないと気付いたはずです。

かつて、周恩来(しゅうおんらい)のような賢明な政治家が日中国交正常化を取り仕切った時代とは大きく異なり、現在の習近平政権では、日中の歩み寄りは難しいと誰しも感じるはずです。


今後も日中関係は悪化の一向をたどると思われます。


私たちは、これから先、どうやって中国と付き合っていけば良いのでしょう。

民主化出来ない中国の苦悩を分かち合う

江沢民の反日教育は、自国の民主化の道を閉ざしてしまいました。


中国にとって、日本が「民主化」の手本だった時代は終わりました。


現状では、中国の共産党政府が国内事情で倒れてしまうか、田中角栄のような優れた政治家の到来を待つか、二者択一の状態です。


今ごろ趙は、どうしているのだろう?と、ふと考えることがあります。

もし趙青年が私の元を訪れたなら、今度も喜んで彼を迎え入れたいと思います

私たち日本人とは違い、民主化の道を閉ざされた中国の人の苦悩を分かち合いたいと私は思っています。


草の根でつながる以外、私に出来ることはありませんし、日中が本当の友人に復帰するまで、互いに向き合う努力は忘れてはならないと肝に銘じました。


「言葉」が通じなくなった相手と、再び対話するのは非常に困難な作業になりますが、先人たちは心血注いで日中国交を果してくれました。


辛抱強く対話を続けていけば、互いに仲良く暮らせることは、30年前の事実が証明しています。


互いの未来を尊重し合い、私たち現代に生きる両国民も、少しずつ「対話」と「交流」を続けていくべきです。

日中 友好 可能

日中の友好は可能?辛い現実に互いに向き合う日本と中国の未来とはのまとめ

小さな中国切手が今でも私の手元にあります。

当時の思い出は、今も私の中で色あせることなく生きています。

青年期に中国の友人が出来て、中国を好きになった私でした。

正直言えば、今の中国を愛することは私にも非常に困難なことがらです。

それでも中国の人と、1人の日本人として向き合っていきたいと思います。

両国の皆さんが、互いに気持ちが通じ合える日が来ることを私は信じています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

by はぐれ鳥

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