1976年製作の映画タクシードライバーですが、私が初めて観たのが16歳の時でした。

この年になるまで、30回以上は観続けています。

なぜ映画タクシードライバーに惹かれるのか、自分自身よく理解しています。

主人公と同じく私も孤独感が強い人間のためです。

やるせなく切ない気持ちになったとき、私は必ずこの映画を観て気持ちを立て直しています。

40年の歴史の中で、いろいろと語り尽くされてきた映画ですが、特に私は思い入れが深い1本なので、あえて自分なりに記事にまとめてみました。

まず初めに大まかにあらすじを立て、印象的なシーンとその意味を解説するというスタイルで書いてみます。

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映画タクシードライバー予告編

映画の独特な雰囲気をつかむには、映像を見るのが早いかなと思いましたので、Youtubeで探してみました。

都会の喧騒の中、虚ろな瞳で闇を見つめる孤独な青年トラヴィスを演じるのは、若き日のロバート・デ・ニーロです。

ニューヨークの街並みに、くっきりと、デ・ニーロの寂しさが映し出されているのです。

テーマ音楽も物悲しいモノトーンで、一見の価値のある予告編のダイジェストです。

記事の本編に入る前に、一度見ておくのも良いかと思います。



今年はタクシードライバー40周年記念で、DVDの売上が伸びているようです。

昔はVHSしかない時代でしたが、すり切れるほどテープを見た記憶があります。

映画タクシードライバーのあらすじ

映画のタクシードライバーをご覧になっていない方のために、あらすじをまず書いておきます。

ベトナム帰還兵で26歳のトラヴィスは、タクシーの運転手を志願し、欲望で汚れきったニューヨークの深夜に黙々と車を走らせます。

トラヴィスは孤独で友人も恋人もいませんでした。

様々な客を乗せ、汚れた街に怒りをつのらせていくトラヴィス。

閉塞した毎日に苛立ち、孤独感をつのらせていったトラヴィスは、自己改革のために肉体の鍛錬を始めます。

銃を買い、射撃の訓練を始めたトラヴィスでしたが、明確な目的は何もありませんでした。

鬱屈した感情の吐け口を失ったトラヴィスは、目的意識もないまま、ヴァランタイン大統領候補の暗殺を無計画なまま試みます。

SPに阻止されて暗殺は失敗しますが、その直後、唐突とも思える行動をトラヴィスは選択します。

マグナム銃を携えたトラヴィスはポン引きを撃ち殺し、売春宿に巣食う悪党を皆殺しにします。

血の海の中で幼い娼婦が助け出されましたが、最後は自分の額に銃口を突きつけて自殺を試みるトラヴィス。

ですが弾丸を撃ち尽くしていたため、トラヴィスは死ねませんでした。

トラヴィスは少女を救い出したことで一躍英雄になりましたが、再び平凡なタクシーの運転手に戻っていきます。

屈折した狂気の眼差しでバックミラーを一瞥するトラヴィス。

トラヴィスのタクシーは、毒々しいネオンが溶け出す街に消えていくのでした。

以上が映画タクシードライバーのあらすじでしたが、この映画の意味するメインテーマとは、いったいなんでしょう。

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映画タクシードライバーのメインテーマ

この映画に一貫しているのは、一言で言えば孤独感です。

この映画のメインテーマは「孤独感」です。

主人公のトラヴィスの孤独な内面を通して、映画タクシードライバーは進行していきますが、他の作中人物も孤独感を漂わせています。

孤独感が端的に現れているのは、惨めな生活のトラヴィスとは住む世界が違うはずの、1人の女性(ベツィ)の存在です。

一見して、華やかな場所で華麗に振る舞うベツィも、実は孤独でした。

大統領選挙事務所で偶然見かけた美しいベツィに一目惚れしたトラヴィスは、選挙のボランティアと称し彼女をお茶に誘い出します。

ですが、初デートの際にポルノ映画館に誘ったトラヴィスの屈折した行動にベツィは激怒して、以降トラヴィスとの接触を断ったのです。

トラヴィスの部屋にはベツィから送り返された枯れた花束で一杯になって行きました。

選挙事務所が舞台の一部に使われているのも偶然ではありません。

1970年代のアメリカでは、べトナム戦争による民主主義の危機の中で、こころが通じ合えない個人が多数生まれました。

人は孤立し、人とこころが繋がり合えない。

映画タクシードライバーの観衆とトラヴィスとの間で、たった1つ共有出来るのは「孤独感」です。

人間の存在の根幹に関わる孤独感こそ、観衆がトラヴィスに感情移入出来るたった1つの要素です。

現代の都会の希薄な人間関係を象徴する孤独感ですが、言いかえれば、他者と感情や考えを上手く共有出来ないもどかしさに由来しています。

映画 タクシードライバー あらすじ

孤独感こそ映画タクシードライバーのメインテーマでしたが、なぜ孤独感が切なさに結びついていくのでしょう。

なぜ映画タクシードライバーは切ないのか

トラヴィスがタクシーの運転手を選んだことから孤独と切なさが深まっていきます。

映画タクシードライバーの主人公の孤独感

主人公のトラヴィスの人生は無目的で単調さにあふれていました。

トラヴィスはいろいろな客を乗せ、スラムを走り続けていきます。

最初は単調だったタクシーの仕事も、次第に苛立ちの入り混じったものへと変わっていきます。

たとえば、浮気した妻を「マグナムで撃ち殺す」と言い放つ男を乗せるシーンが出てきます。

泥酔した客と娼婦が、トラヴィスのタクシーで値段の交渉を始めます。

深夜にタクシーを転がしながら、トラヴィスの鬱屈は限界まで達します。

腐敗を嫌悪していたトラヴィスは、悩み抜いた挙句、極度の不眠症にかかります。

トラヴィスがテレビの恋愛ドラマに銃を突きつけて、テレビ自体を破壊してしまうシーンが印象的です。

社会への絶望はトラヴィスを追い詰めていきますが、孤独感は増していく一方です。

何一つ、救いのない世界にトラヴィスも観衆も投げ込まれます。

映画タクシードライバーでは、見る側がタクシーの運転手になったかのような錯覚を覚えさせられます。

街の腐敗をトラヴィスの視点から見つめていくことで、トラヴィスの孤独感を観衆は共有していくのです。

映画タクシードライバーの切なさ

映画が切ないのは、人間が持つ孤独感を揺さぶり続けるからです。

映画の冒頭で、ベツィ以外に重要な人物が1人登場します。

車中でトラヴィスがまどろんでいると、タクシーに1人の少女(アイリス)が逃げ込むように乗り込んで来ます。

アイリスは年端もいかない13歳の売春婦でした。

ポン引きのマシューは強引に車からアイリスを引きずり出します。

しわくちゃの1ドル札をトラヴィスに投げつけ、アイリスと共に夜の闇に消えて行ったのです。

どうにもならない現実に苛立ちと孤独感をつのらせていくトラヴィス。

ある夜ベツィの支持する大統領候補が偶然タクシーに乗り込んできます。

トラヴィスは「街を浄化して欲しい」と大統領候補に訴えます。

ですが、卒のない返答で大統領候補は車から去っていくのです。

大統領候補ですらアイリスを救えないという転倒した構図が見えます。

映画タクシードライバーでは、トラヴィスも観衆も孤独で、誰1人救われない世界に生きています。

映画タクシードライバーの孤独感は、見る側の切なさを揺さぶり続けると見てきましたが、孤独なトラヴィスが英雄になれたのはなぜでしょう。

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映画のタクシードライバーから見る英雄とは

なぜ孤独だったトラヴィスが、突如として英雄になれたのでしょうか。

映画タクシードライバーのあらすじから見る英雄像を見ていきたいと思います。

映画タクシードライバーの希望とは

映画タクシードライバーには、逆説的な意味が含まれています。

救いの無い孤独な世界にいたトラヴィスと聴衆は、映画の最後には希望を見いだせます。

そのために、映画タクシードライバーは主人公の鬱屈と絶望を描いています。

ある日、トラヴィスは偶然アイリスと街で再会します。

彼女は売春を持ちかけてきますが、トラヴィスはアイリスを叱り、翌日食事を一緒にとろうと約束してアイリスの部屋から去っていきます。

翌朝トラヴィスとアイリスは食事を共にしますが、アイリスは汚れた世界から逃げ出したいとは思わないと、トラヴィスに伝えます。

映画タクシードライバーに逆転劇が起きるのは、トラヴィスの発作的で理由のない行動からです。

大統領候補の暗殺に失敗したトラヴィスは、動機も定まらないまま、駆り立てられてるようにしてアイリスの元に向かいます。

血染めの階段は、阿鼻叫喚さながらで、凄惨な殺人を通じてトラヴィスはアイリスを救い出すのです。

観衆とトラヴィスの距離が一気に近づく瞬間がここです。

トラヴィスと同化してきた観衆が、虚を突かれるシーンがまさにここなのです。

トラヴィス自身ではなく、幼いアイリスこそ救い出されるべき存在だったのです。

映画タクシードライバーの英雄のあり方

傷が治ったトラヴィスの元に、アイリスの両親から手紙が届きます。

手紙にはアイリスは家庭に戻り、元気に学校に通っていると書いてありました。

トラヴィスは少女を救い出したことで一躍英雄になりますが、再び平凡なタクシーの運転手に戻っていきます。

タクシーのフロントガラスに映し出される汚れきった夜の街を走る日々が戻ってくるのです。

無目的で、主義主張を持たない孤立した個人が英雄になる時代です。

トラヴィスの行動に、ベトナム戦争の帰還兵の後遺症を指摘する解説が多いのは私も知っています。

確かに映画タクシードライバーの中では、正義を失ったアメリカに対する絶望感が漂っていたのは事実です。

ですがトラヴィスはアメリカを背負っているわけではなく、ただの孤独な都会の青年です。

孤独への怒り、欺瞞への怒り、そして理由のない怒りがトラヴィスの行動のきっかけです。

傷ついた孤独な個人が、絶望のはけ口を求めて苦悩するのが、映画のタクシードライバーのあらすじなのです。

自分が何者なのか、よく分からない苦悩がトラヴィスから滲み出ています。

トラヴィスが鏡に映った自分に問いかけるシーンが印象的です。

「俺に話があるのか?」鏡に向かってトラヴィスは何度も語りかけます。

映画の中では、自我が希薄で目的意識もなく、主義主張を持たない孤独な個人が、自分の存在価値を探しています。

映画タクシードライバーが支持されてきたのは、偏った正義から語られた物語ではなく、日々に苦悩する平凡で孤独な人間の視点から語られているからではないでしょうか。

孤独な個人が存在意義を探しているのを見たあとは、最後にラストシーンの持つ意味について考えたいと思います。

映画 タクシードライバー あらすじ

映画タクシードライバーのラストの意味

映画の最後に近いシーンで、1人の女性がトラヴィスの車に乗り込んで来ます。

ベツィでした。

母性の温かい眼差しでトラヴィスを見つめるベツィ。

無言のトラヴィスはベツィを自宅の前で降ろし、メーターを切って夜の街に再び消えていきます。

一瞬、トラヴィスの目が光ります。

屈折した狂気の眼差しでバックミラーを一瞥するトラヴィス。

サイドミラーに一瞬映し出されるトラヴィスの瞳には、くすぶり続ける狂気と苛立ちが消えていないことが示されています。

最後まで、トラヴィスはトラヴィスのままなのです。

ですが、トラヴィスには「孤独感」は無くなっていたのでしょう。

望めばベツィとの復縁もあり得たかもしれません。

映画タクシードライバーのあらすじには、自分の個性を大切にすることや、他者との関わり方を大切にすることで、孤独感はいずれ癒えることが示されています。

ラストに、トラヴィスはネオンの街に再び1人で戻って行きます。

映画タクシードライバーのラストの夜景が意味するものは、「何も始まらないし何も終わらない」ということです。

事実、監督のマーチン・スコセッシはインタビューの中で、(孤独な個人が)トラヴィスと同じ道を歩む必要はない、と語っています。

個性を大切に生きて欲しいという、監督からのメッセージでしょう。

観衆の側も、アイリスが無事に帰郷したこと、ベツィがトラヴィスへの想いを深めたことで「孤独感」から救われるのです。

映画 タクシードライバー あらすじ

映画タクシードライバーのあらすじ!孤独で切ない夜にイチオシ映画のまとめ

孤独な個人が苦悩し続ける姿が描かれているのが、映画タクシードライバーのあらすじでした。

ベツィとの関わり方から自分の個性を尊重することを学び、アイリスとの関わり方から他人を尊重することを学んだトラヴィスには、もはや「孤独感」は消えていたのでしょう。

今の私にとって、トラヴィスは英雄ではなく、孤独感を分かち合う同類の人間です。

孤独で切ない夜には、映画タクシードライバーがおすすめです。



映画に関しては「レオン」のあらすじも書いていますので、お時間があれば是非読んでくださいね。

映画のレオンのあらすじ!観終わったら思わず泣けてくるイチオシ映画




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

by はぐれ鳥

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